葬送のフーガ(14)

 セリト(三)

 ユノという少女の名を初めて知ったのは、八年前のことだった。その時はエリサが受け持つ患者の一人として聞いたに過ぎず、そしてエリサを失ってからというもの、私はその少女のことをずっと忘れていた。あえて記憶から追い出そうとしていたのかもしれない。
 にも関わらず、再びその名を耳にすることになったのは、逃れられない運命というものなのかもしれない。
 レイに勧められるまま、私は住居をこの街に移し、茶屋を始めた。そして高校に入学したレイの同級生で、この店に最初に訪れた客が、ユノだったのだ。
「――やっぱり、エリサさんの言うとおり、白い魔法使いだわ」
 私が淹れた白茶を口にしたユノが、真っ先に発したのがその一言だった。
 突然出されたエリサの名に固まってしまった私に、ユノは自分の名と素性を告げると、続けてこんなことを言った。
「セリトさんの白い手は魔法の手なんだって。エリサさんはそう言ってたの。特に、その手で注がれる白茶は、幸せになれる力を持ってるんだって」
 その時、私はどんな顔をしていただろうか。面食らうとはまさにこのことだ。エリサは、当時幼かった少女にそんなことを話していたのか。
「ずっと気になっていたの。エリサさんから聞いて、セリトさんという人が、どんな人なのか」
 白茶を飲み干したカップをソーサーに戻すと、ユノはじっと私を見つめた。
「ねえ、セリトさん。わたし、またこのお店に来てもいいかしら?」
 あどけない笑顔を向ける少女に、私はうなずくことしかできなかった。
 そう、彼女は何も知らないのだ。自分の体内に何が埋め込まれているのか。そして、その罪の重さに耐え兼ね、彼女が慕う一人の女が命を絶ったことなど――。
 もちろん、私はユノを恨んでいるわけではなかった。彼女には何の罪もない。それどころか、真実を知って一番傷つくのは彼女自身なのだ。それでも。
 それでも私は、エリサの罪の証を刻み込まれた少女を前にして、平静でいることはできなかった。そのことを悟られないようにするのが精いっぱいだった。
 しかし、私の心中など知る由もないユノは、それから毎日のように店を訪れた。そして私は次第に思うようになった。これが、私の贖罪なのだと。
 私はエリサと、小さな命とを失った。自分の愚かさゆえに、二つの命を救うことができなかった。だからこそ、知らないうちに重い罪の痕を残された少女を支えることが、私に課せられた運命なのだと――そう感じるようになっていった。
 それさえも傲慢で身勝手な考えだとも気づかずに。


「……結局、私は誰も救うことなんてできないんだな」
 小さなつぶやきは、冷たい木枯らしに搔き消された。
「何か言いましたか、セリトさん」
「いや……何でもない」
 怪訝な顔で振り返るレイに、私は軽く首を振った。こんな愚かしい感傷を、レイに聞かせたくなどなかった。それ以上訊かれまいと、私は少しわざとらしくコートの襟を掻き合わせる。
 レイと私は姿を消したユノを探すため、街へと繰り出していた。特にあてがあるわけでもないので、こうして寒風の吹きさらす中をふらふらと歩きまわらなければならない。
 冬も間近のこの季節、日差しが弱まっているのがせめてもの幸いだ。それでも太陽光を浴びないようにと、全身黒ずくめで帽子にサングラスに手袋までして、長いコートの襟を立てる私の姿はかなり異様に映っているだろう。広場へ向かう大通りを歩いていると、すれ違う人たちがいぶかしげな視線を向けてくる。生まれつきとはいえ、アルビノは外出にも無駄に気を遣わなければならないのだ。
 「白い魔法使い」というのは、エリサの口癖だった。色素のない白い髪と肌に、日よけの黒服という取り合わせは、神秘的な魔法使いのように見えるのだとよく言って笑っていた。
 だが―私は魔法使いなんかじゃない。
 奇跡なんて起こせない。大事なものを守ることも、人の気持ちに気づくことすらもできない。
 エリサは、そんな私に絶望しただろうか?
 そして――恐らく私を頼ってきたはずのユノもまた、私に失望したのだろうか?
 だから私の前から姿を消したのだろうか?
「まったく……どこをほっつき歩いてるんでしょうね」
 私の隣で、レイは今にも舌打ちしそうな表情を浮かべている。あまり詳しい事情を知らないレイにしてみれば、彼女の行動はお嬢様のわがままにしか見えないのかもしれない。
「そう言うなよ、レイ。ユノちゃんだっていろいろと考えることがあるんだろうし」
「それにしたって……せめて一言くらい残していけっていうんですよ。突然押し掛けてきて、また急に出て行くなんて……」
 レイは冷たい両手に息を吐きかけながら、なおもぶつぶつと不平をこぼしている。
 確かに、彼女の行動はあまり誉められたものではないだろう。しかし精神的に追い詰められている状況を知っている私は、彼女を責めることなどできない。それだけでなく、嫌な予感がふつふつと胸に湧き上がってくる。
 彼女とともに姿を消した、白い鉢植え。
 彼女はなぜあれを持ち去ったのだろう。そこに二つの命が眠っていることなど知らないはずなのに。
(――スノードロップが表すのは『希望』と『再生』……つまり、白葬に再生を願っているんだろうって)
 レイから聞いた、ユノの言葉が脳裏をよぎる。
 ユノはあの花を見て、そう口にした。そして今日、それを持ち去った。ということは――。
「希望と再生……」
 知らず、私は口に出してつぶやいていた。
 不思議そうに見つめるレイの隣で、私の頭の中では同じ台詞が繰り返し響く。
(――わたしが死んだら、白葬にしてほしいわ)
「再生……白葬……?」
 その時だった。

 ゴーン ゴーン

 広場の大時計が、重く古めかしい音を鳴り響かせた。
 同時に、バサバサと無数の羽音がいっせいに上がる。鐘の音に驚いた鳩の群れが、一挙に空へ飛び立ったのだ。
 初冬の冷たい風にあおられて、白い羽が雪のようにひらひらと舞い降りる。
 白の舞い散る視界の中で、私は大時計を見やった。鐘の数の通り、今はちょうど二時。ユノを捜し始めたのが正午前だったから、二時間以上も無駄にしてしまったことになる。
 深い溜息を吐き出すと、ポケットの中の端末が鳴っているのに気づいた。慌てて取り上げ、通話モードにすると、怒鳴り声が響いた。
『おい、何をしとるんじゃ! おまえは仕事を忘れとるのか!?』
 いきなり怒声を浴びせたのは、火葬屋の親爺だった。映像は切ってあるが、凄い形相になっていることは想像に難くない。
「仕事、ですか?」
「若いうちから何をボケとるんじゃ! 今日の二時までに白葬の箱を納入するという話じゃったろうが!」
「……あ」
「あ、で済むか!」
 私の漏らしたつぶやきに、親爺はますます怒りをつのらせる。しかし、私はそれどころではなかった。
「親爺さん、棺は? まだ焼いてませんか!?」
 勢い込んで訊ねる私に、親爺は眉をひそめる。
「おまえさんの箱が届かんから待っとったがの。今から焼くところじゃ」
「すみません、待ってください! まだ焼かないで下さいよ!」
「はあ? 何を言って――」
 まだ火葬屋の親爺は何か言いかけていたが、私は問答無用で通話を切った。今はそれどころではない。
「ど、どうしたんですか、セリトさん……」
 レイが心配げな顔で私を見やる。確かに私は普段、こんなことをしないから驚くのも無理はないだろう。だが非常時ともなれば、そうも言ってはいられない。
 私は強く噛みしめた唇を押し開き、一言告げた。
「行こう。――ユノちゃんを迎えに」
 レイは大きな目をますます大きく見開いた。
 そう、私は確信していた。
 間違いない、彼女はあの場所にいるはずだ。

     ※

 身を切るような冷たい風が、容赦なく吹きつけてくる。周囲に建物のない殺風景な場所では、いっそう寒さがつのる。
 肩をすくめながら歩き、私はところどころ塗装の剥がれた古びた門をくぐった。
「遅いぞ、セリト! 老い先短い年寄りをどれだけ待たせる気じゃ!」
 がらんとしたホールに、胴間声が響く。私を待ち構えていたのは、当然のこと火葬屋の親爺だった。
 ここは街の外れにぽつんと立つ、市内唯一の火葬場。原子葬が主流になった今も操業しているのは、こんな変わり者の老人くらいになってしまった。
 初対面となるレイは、驚いたように親爺を頭の上から足の先まで眺め渡している。何しろ親爺は私の胸のあたりまでしか背丈がないのに、声だけは野太く大きいのだ。老い先短い年寄りなどと自称されても、誰も信じはしないだろう。
 しかし、今はそんなくだらないことを言っている場合ではない。
「どうもすみません。ところで棺はどこにありますか?」
 その問いに、親爺は溜息をつく。
「さっきから何じゃい、おまえさん。棺、棺と。仏さんの知り合いなのか?」
「棺の中身に用があるんですよ」
 詳しく話している暇はない。目で急かすと、親爺は追及をあきらめたらしく、奥の部屋へと案内した。
 冷え冷えとした館内に、三組の足音がやたら大きく響く。経費削減のために、暖房などついていないのだろう。吐き出す息も白い。
「さあ、ここじゃ。早く済ませろよ。お客を待たせとるんじゃからな」
 お客というのはもちろん遺族のことだ。姿が見えないが、別室かどこかで待っているのだろう。しかし申し訳ないが、死者を葬るのはもう少し先になりそうだ。
 照明が落とされ、薄暗い室内に、白木の棺が安置されている。
 これは白葬用の棺。入れ物自体は火葬用と何ら変わらないが、違っているのはただ一つ。後で白葬の箱に骨を納める際、不純物が混じらないよう、いっさいの金属を使っていないということ。つまり、棺の蓋は釘で打ちつけられていないのだ。
 私は棺にそっと手を伸ばす。
 白木の乾いた感触が、指先に伝わってくる。一つ息をつくと、私はおもむろに蓋を持ち上げた。
「セ、セリトさん!?」
「何をするんじゃ!」
 レイと親爺が、私の突然の行動に慌てふためく。しかし次の瞬間、彼らの視線は棺の中に釘づけになった。
「――ユノ!?」
 頓狂な声を上げたのはレイだった。
 やはり、という思いが私の胸を突く。
 白木の棺の中には、本来入っているはずの遺体ではなく、一人の少女が横たわっていたのだ。
「ど、どういうことじゃ、この嬢ちゃんは! おいセリト、説明せんか!」
「それは後です!」
 狼狽する親爺に構ってなどいられない。私は棺の中に片足を踏み込み、ユノの体を持ち上げた。
「ユノちゃん、しっかりしろ!」
 呼びかけても返事はない。それどころか、彼女の体は芯まで冷え切っていた。氷のような冷たさに、私は思わずびくりと震えた。

『――エリサ……エリサ……!?』

 奥深くにしまい込んでいた記憶が、奔流となって脳内に流れ込む。
 床に倒れ伏していた彼女。
 慌てて駆け寄り、抱き上げた時の冷たさが、皮膚の感覚を通してありありと蘇る。
 私はまた繰り返すのだろうか?
 さらに罪を重ねたのだろうか?
 無力なこの手は、誰一人救うことなどできないのだろうか――。
「ユノは……どうしたんですか、セリトさん!」
 私を現実に引き戻したのは、レイの緊迫した声だった。
 そう――そうだ、こんなところで自失している場合ではない。私は気を引き締めた。
「息は……ある。だが、早く温めないと。恐らく薬か何かを飲んだんだろう」
 意識のあるまま火にくべられるのは、さすがに避けたいだろう。だからきっと彼女は睡眠薬でも飲んだのだと思う。そのせいで、体温がひどく下がってしまっている。このままでは危険だ。
「あ、じゃあ救急車を!」
 焦って手をぎこちなく動かしながら、レイはポケットから携帯端末を取り出す。そしてボタンを押そうとしたところを、私は制した。
「いや、駄目だ。救急車はまずい」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!?」
 レイの言うことはもっともだ。だが、患者がユノである以上、普通の病院に運び込むわけにはいかない。
「仕方がない……」
 ひどく気が進まない。とはいえ、事は一刻を争うのだ。私は大きく息を吐き出すと、自分の端末で、ここ何年も使っていなかった番号を呼び出した。
(2015年11月05日 18時41分)