約束の夏(2)

3.天候、悪化

「山田っ、山田ってば、おいっ」
 旧体育館から裏庭にまわり、プールの手前、昼間の水道の所で僕は山田に追いついた。肩をつかんで、強くひき戻す。
「あ……木崎」
 どことなく茫然と、初めて僕に気づいた、みたいな表情。
 おいおい、冗談じゃないぜ。さっきから精一杯、大声で名前を呼んでいたっていうのに。
「どーしたってんだよ、一体」
「ん……」
 言いよどんだんじゃない、メガネのレンズの向こうで目線がぼんやりとさまよっている。僕の言葉が届いてない?
「しっかりしろって、山田っ!」
 叩きつけるように怒鳴ると、びくんと山田の体がはねた。
「あ……木崎」
 最初と同じセリフ。だが、今度は僕としっかり視線が合った。
「ちょっと、痛いよ、木崎?」
 僕の手をふりほどく。
「何があった?」
 僕の言葉に、はじかれたように顔をあげる。
「……」
 その視線の先、プールの向こうには――
「やだ、すごい風」
 山田が濡れたままだった髪の乱れを押さえた。
「ね、タオル置いてきちゃった。戻ろう」
 踵を返す。僕はプールの向こうを見てから、山田を追った。
「タオルだけじゃないだろ」
「……」
「ちゃんと説明してくれよな」
 裏庭の向こうに建ち並ぶアパートの群れが、頼りない明かりを送りこむ。
 山田はうなずいてみせた。
 風が重い木々の枝葉を揺らし、僕達は逃げるように合宿所へ戻った。

   ◆

「おい、なんだよ2人共、変だぜ」
 リーダー部屋。竹重が何度かためらってから、そう言った。
 広さは6畳ほどだ。続き部屋に押し入れがあって、入口の反対側にサッシ窓がある。
 押し入れには掃除機と食事につかった折りたたみ式の座卓のほかに扇風機がしまってあって、今は室内に涼風を届けてくれていた。
 さっき玲子と浅井が風呂へ立ち、ここには3人だけだ。
 竹重がいぶかるのも当然だった。風呂あがりのくせに山田の顔色は暗かったし、僕が玲子達に風呂だと告げた笑い顔はひきつっていた。竹重がそれなりにフォローしてくれたから、玲子達は気づかずに行ったのだ。
 浅井が怖がるとややこしくなると思って、僕は異常を話していなかった。
 そう、できれば明日の朝。そうもいかないだろうからせめて、浅井が風呂を出るまでは。
「おいー、黙ってないで何とか言えって」
「それが……さ」
 僕は山田を盗み見た。
「お風呂入ってたら、女の子の声がしたのよ」
 山田の口調は淡々としていた。さっきは危なっかしかったが、もう大丈夫そうだ。
「……何それ」
 竹重はまだ理解していないようだった。
 僕は簡潔に告げた。
「浅井の悲鳴さえ届かなかった風呂だぜ?」
 竹重の顔が、明らかに精神的苦痛で青くなる。
「そっそれがなんだってんだよ」
 健気な反撃は、山田に玉砕された。
「あれはね、間違いないわ。幽霊の声、よ」
「七不思議か?」
「合宿所は入ってないよ」
「新手の……?」
 ひゅーっ、と、妙な音を立てて竹重は息を吸いこみ、僕を見た。
「なあ、風呂、一緒に入ろーぜ?」

   ◆

『中心気圧は995ヘクトパスカル、中心付近の最大風速30メートル、最大瞬間風速45メートル……この台風12号の影響により、関東地方では、風が強く、現在神奈川県、及び千葉県西部には暴風波浪注意報が発令されています。
 台風12号は、明日朝未明には父島の南約50キロの地点に到達――』
 その時首を動かしたはずみで左耳のイヤホンがポロリと落ちた。
 構わない。腕を組んだ姿勢のまま窓ガラスを睨み据える。
『……見こみで、関東全域に渡り、充分な警戒が必要となるでしょう。
 また、伊豆諸島および小笠原諸島では津波警報と暴風警報、静岡県――』
 右耳は気象情報をよどみなく伝え、左耳からは、がたがたと窓を打つ風の音がうるさい。
 窓の外は見えない。この洗濯室の照明でガラスは白く光り、僕の姿が映っている。中肉中背、体格が平均的なら顔も髪型も平凡な、どこにでもいそうな印象の薄い高校生男子。
 不安そうにしてんなよ。
 おまえに霊体験する能力なんてない。
 17年間生きてきて、誰よりもよく分かってるじゃないか。
 なあ?
 ……だけど。なんなんだ、この、不安定な感覚は……
 七不思議とは別に、校内に飛び交っていた『噂』。
 幽霊の声を聞いたという、山田の憑かれたような行動。
 ここで何が起きてる?
 ――びゅううう……
 必死な響きだが、風の言葉は僕には分からない。

 ニュース番組が終了したので僕はスイッチを切り、イヤホンを外してラジオ内蔵の音楽プレイヤーに巻きつけた。手のひらサイズだがフル充電で12時間稼動できる優れものだ。でも充電する予定のない今はなるべく消耗を抑えたかった。
 玲子と浅井は風呂からあがり、今は山田と2階にいる。山田の話は僕らが風呂を出てからにしようと言ってある。今後、僕ら同好会のメンツにかけて詳しい調査に乗り出すことになるだろう。
 しかし肝心な男手は僕と竹重だけだ。正直、リーダー杉野の不在が痛い。
 台風の接近……明日、杉野は来られるだろうか?
 考えていると、右の方から激しく物音がした。
「おー、わりぃ木崎。待たせたな」
 竹重が、そのでかい体をTシャツと水色の短パンで包み、屋内扉の向こうから姿を見せた。
「雨、降ってっか?」
 タオルでごしごし頭を拭きながら、こっちへ来る。
「いや……」
 僕はまた、窓に目を移した。「何か、変わったことは?」
「ああ。何にもなかった」
「そうか、よかったな」
「おまえも早く入んな。なんかあったら呼べよ。飛んで来てやるから」
 ただでさえ防音性のある風呂に、この風だ。どんなに耳が良くたって、通るのは幽霊の声だけだろうぜ。
「――了解」
 窓と、旧式の洗濯機に寄り掛かった僕との隙間を、竹重が通りすぎる。
「うえ(2階)のことは、心配すんな。いい湯だぞ」
 ドアを開き、ざわざわと鳴る外へ竹重は出ていった。
 どうやら、何もなかったんで安心してひとりで戻る気になったらしい。
 好きにしてくれ。
 僕は、男2人で狭い風呂に入るのなんか、ごめんだっただけだ。

   ◆

 僕が風呂から出ると、8時だった。
 竹重に異常がなかったように、僕も何も聞かなかったし、見なかった。もっとも僕には特殊な体験をしたことが1度もなくて、残念ながら霊感はないらしいんだけど。
「……そう」
 山田の話を聞き終わると、玲子は考え深げに目を伏せて言葉を切った。
 僕達は全員リーダー部屋にいる。お互いの顔が見える位置に坐っていた。
「玲子さんも何か声、聞きました?」
 山田は自分の体験を絵空事にしたくないのだろう、そう尋ねたが、
「あ、ううん、私は何も」
 浅井も山田に視線を向けられて、軽く首を横に振った。
 でも山田の話に異論を唱える者はいなかった。
 玲子が腕時計を見て言った。
「それじゃあ、山田さんはここにいて。浅井さん、私と来てくれる、暗いから。宮下先生にお風呂に入ってもらわないと」
「あ、はい」
 浅井が返事をした。山田はなんとなく嬉しそうに、
「あたしなら大丈夫です」
「うん、でもね、また声が聞こえたら木崎くんか竹重くんと、追っ掛けてって欲しいから」
 ……げ。
「あ、そうですか」
 山田は納得顔で引き下がる。
 ちょっとちょっと、男だからって幽霊相手にどうしろって言うんです……?
 とくちを挟みたかったが、それじゃすぐ戻るからね、と玲子と浅井は出ていった。
 あとから思えば、せめて言いたいことは言っておけば少しはその後の僕ら男の立場も変わっていたかもしれない……ような気もする。


4.追跡

 玲子達が行ってから、風に混じって雨音が聞こえ始めた。
「……ホントに今夜、調査すんのかな」
 山田の体験から発展性のある意見も出なくなって、沈黙が降りた時竹重が弱々しくそう言った。
「なんだよ、おまえらしくもない」
 でかい図体の竹重に弱音を吐かれたら、もっと力のない僕はどうすればいいんだ。
「ほんと。単なるウドの大木じゃん? あっいつもそうかー」
 本気でうっとおしそうに、山田が言う。
「なんだと?」
「……おいおい」
 こんな時にケンカしてんなよ。
「いーや、止めるな木崎、オレは以前からコイツに言ってやりたいことがあったんだ」
「何よ」
「おまえ、あーんなナマっちょろくて不気味なやつのどこがいいんだ。首なんてこーんな細っこくてよお」
「リーダーに向かってなんてこと……! アンタこそ、いっつも陽に焼けたジャガイモみたいな顔しちゃってさ、ナニサマのつもり!?」
 ……こうなるともう手がつけられない。
 僕は諦めて、窓際へ立った。昼間干した布団がまだ積んである。今のうちに敷いておけばいつでも休めるだろう。
 この2人の折り合いの悪さはしかし、暗い雰囲気をふっ飛ばすにはいいエネルギーかもしれない。一種のリクレーションだな、僕にはうるさいだけだけど。
 女子部屋へ布団を3枚運び、リーダー部屋の真ん中で言い合いを続けている2人を避けて2枚を端と端に並べる。今夜ここに寝るのは僕と竹重だ。片方に自分の荷物を寄せて置いた。
「結局ただのやっかみじゃないの、アンタが勉強できないからって」
「それはおまえの思い込みってもんだ。男はなー、アタマが悪くてもココが強けりゃいいんだよ」
 ぴたぴた腕を叩いて意気込んでいるが、竹重、それは頭の不出来を自分で認めてるだろ……。
 やれやれと暇になった僕は外へ出ることにした。
 下に行って、水でも飲んでこよう。
 素足にスニーカーをつっかけてノブに手をのばした時、向こうからドアが引かれた。
「あ、浅井。おかえり」
「先輩っ」
 浅井が引いたドアが、勢い余って外の壁に跳ね返り、大きな音を立てた。前髪から雨のしずくがしたたっている。その下で黒目がちな瞳がせわしなく動いた。
「玲子さんは?」
「まだ戻ってきてない。どうした?」
 浅井は唇を小刻みに震わせて、繰り返した。
「玲子さん……玲子さんが」
 小脇にしっかり2本の傘を抱え持っている。借りてきたのか、飾り気のない黒いコウモリ傘だ。ていねいに、たたまれたままの――。
「竹重!」
 僕は後ろに向かって叫んだ。片手でつかんだ浅井の冷えた肩から、細かい震えが伝わってくる。
「玲子がどうした?」
「先生を呼びに行ったあと、傘を借りてくるって……玲子さんだけ戻ったんです。私、正面玄関の屋根の下で待ってたんですけど、遅いから宿直室に行ったら、来なかったって――」
「なんだって?」
「先生は合宿所へ行ったんだろうって言うんです。でもここまで、誰にも会わなかったし」
「分かった」
 責任感の強い玲子が、浅井を置いてくるはずもない。
「なんだ?」
 竹重がようやく立ってやってきた。
「山田、タオル。浅井を拭いてやってくれ。竹重、玲子を連れ戻しに行くぞ」
「えーっ?」
 あたふたと靴を履き直す竹重の後ろで、オッケイ、と山田が頷いた。
「同じ場所、だよな?」
「でしょうね」
 山田の返事と同時に、外へ。
 階段を降りた所で、スニーカーの折れたかかとを直した。紐を固くする。
 通路を照らす電気がつけっぱなしで足元は明るかった。
 後方からようやく、焦りまくった竹重のセリフが聞こえてくる。
「おい、どうすんだ? 玲子は? どこから探す?」
 僕は立ち上がると、湿った髪をかきあげて深呼吸した。
「行き先は分かってる。山田が呼ばれた場所だ」
「あ――じゃあ」
 ようやくコトの次第を納得したらしい竹重は、暗がりに浮かびあがる体育館へ視線を向けた。
「行くぞ」
 あちらさんにとっては、山田も玲子も同じだったってことだ。幽霊の声が聞ける山田も、幽体離脱のできる玲子も……
 かなり強い風のなか、大粒の雨が落ちてくる。たちまちシャツのそでが生ぬるく張りついた。
 僕は片腕で顔をかばいながら、体育館の前を駆け抜け、プールの脇を全力疾走した。
 校舎裏、運動部の活動場へと通じるコンクリートの渡り道。
「……いた……」
 どうやら間に合った。暗がりを、白いTシャツの後ろ姿がふらふらと歩いている。間違いなく玲子だ。
 山田の時よりもっと頼りない歩き方だった。普通に歩いて追ったとしても、たちまちつかまえられるだろう。
 玲子を発見できたのは、宿直室のある管理棟からここまでに普通棟と技術棟の2校舎を横切らなければならない道のりのおかげもあった。
 玲子の背中を見ながら僕は立ち止まった。竹重が隣に追いついてくる。
「この際だ、あとをつけよう。山田と玲子を呼んでるおおもと……確かめる」
「――玲子を見殺しにすんのかよ」
 僕はびっくりして、
「バカ、んなことするわけねーだろっ」
 押し殺した僕の声に、威圧される筈のない竹重はばかに弱気だった。
「だってそうだろ下手したら……」
「なんのためにおまえを連れてきたと思う?」
「……幽霊と力比べなんて、自信ないぜ、オレ」
「今さらそりゃナシ、行くぞ」
 竹重の言いたいことはよく分かる。でも他の対策を考えているヒマはないんだ。
 高いフェンスで仕切られたテニスコートが左側にある。ポールと審判台が墨色の空間に真っ黒く、取り残されたオブジェのようだ。風が音を立てて吹き抜ける。低く、強く、まるで悲鳴みたいに。
 じっとしていたらひきずりこまれそうだ。
 玲子のゆったりした歩みが、その横の通路を左へと折れていく。
 街灯は届かないし空は雨雲に覆われて、周囲はかなり暗い。それでも玲子の足は止まらなかった。
 どこへ向かう通路か。それは、夢遊状態の山田が見つめた、プールの向こうの……?
「なー、ひょっとしてさー」
 竹重がそっと、ただし風に負けない声で、話しかけてきた。
「玲子が幽霊に操られてるっての、思い過ごしと違うか?」
「なんでだよ」
「だってこんなの、信じらんねーよ」
「おい――」
 僕はまだ気弱なコトを言ってる竹重を、正面から見てやった。
「『俺達』がそんな事、言っていいのか? 第一、それが『おまえ』のセリフかよ。しっかりしろよ、竹重。心霊現象に興味持ってんだろ? 体験だってしてんだろーが」
 俺は体験したことないけど、こうやって本気で、と続ける前に、竹重が口をはさむ。
「そうは言うけどなっ、却って『オレ』より『木崎みたいな奴』の方が、恐い物知らずってーか、そういうのあるんだぞ」
「ふうんそうか、なるほどな」
 思いっきりつっけんどんに言ってやる。駄々こねてる場合か。
「おいー。とにかく、尾行はよさないか? もしか玲子が正気だったら、声かけてそれで済むじゃん」
 まだ言うか。僕は立ち止まり、竹重の瞳を透かし見て、玲子へあごをしゃくってみせた。闇に浮かんだ白い影が、だんだん霞んでいく。
「その方が、よっぽど怖いと思わんか?」
 この暗さの中でも竹重の顔がひきつるのが、はっきりと分かった。

 通路が突き当たる。その先は木造の平屋。
 弓道場だ。
 玲子は入口の前で立ち止まった。こんな時間に、鍵が開いている筈はない。
 だが玲子は当然のように扉に手をかけ、滑らせた。
 ――開く。
 一体ここに何がある?

「あっ」
 竹重の思わず洩らした声に、僕は我に返った。
「どうした?」
「玲子、閉めてったぜ」
「やべっ」
 慌てて戸に駆け寄ったが、
「げっ。開かない……」
「どーすんだよ木崎! 責任とれんのかあっ?」
「うるせー。落ち着けよ、大声を出すな」
 竹重と睨み合い。
 僕は背を向けてダッシュした。
「おい――!?」
 竹重の制止は無視だ。
 勢いをつけ、右の塀に飛び乗る。学校の敷地と民家を隔てたブロック塀だ。直立はせずに腰を折り、手をついて。塀の先端は平らでなく少し山形をしていた。足を滑らせないように注意しながら、中腰のまま弓道場と民家の隙間へ歩く。ずっと行けば建物の向こう側へ出る筈だ。
「きっ木崎、待てよ」
 ち。竹重の図体を忘れてた。
「無理しなくていいぞ」
 僕は見下ろして――ったって、塀は竹重の身長より低いくらいだけど。
 竹重は一拍置いて、自分に言い聞かせるように強く、
「オレも行くよ」
 しかし、竹重はその大きな体に見合うバランス感覚を持ってなかった。塀にまたがっても、それじゃ足が建物にぶつかっちまう。塀と弓道場の隙間は狭い。
 僕は舌打ちした。
「しょーがねえな、こっち側から通らせてもらえよ」
「わ、分かった」
 竹重はえいやで塀を乗り越えて、民家の裏通路を壁添いに走った。
 そして僕らは、弓道場の庭へ下り立つことに成功した。
(2014年08月10日 20時09分)