川内村ざんねん譚(12)

イノシシの王国

 我が川内村には熊がいない。なのでイノシシは、村に住む生物の中で、人間を越える最重量級ということになる。

 実は、熊の目撃情報もときどきあるのだけど、その情報に、住民たちは首をかしげている。目撃情報が、たいてい村人以外によるものであり、山によく入る地元民からは、そんな話がさっぱりないからだ。

「おおかた、イノシシを熊だと思ったんだろう」

 というあたりで住民的合意はとれて、そして話題はイノシシに戻る。

 熊には出会ったことがないのでわからないが、イノシシも相当に厄介だ。あぶないし、田畑の荒らし方などは、熊のほうがお行儀がいいかもしれない。


 10年前、ぼくがこの村にふらりとやってきた頃、川を遡る鮭とイノシシは、秋の二大動物性たんぱく質だった。当時は村にも鉄砲持ちがずいぶんといた。もちろんワナも仕掛けられて、獲物といえばイノシシだ。

 今ならジビエ食材として観光資源にもなるのだろうが、当時の村では、ジビエ食材はご近所親戚に配って喜ばれるのが最大の効能。通りすがりの旅人が客としてイノシシを食せるチャンスはほとんどなかった。

 捌きたてだから食べてみろと手渡されたのは、イノシシの刺し身だった。豚は生ではあぶないけど、野生のイノシシは大丈夫なんだということだ。食も人生も、ちょっとだけ冒険をしたほうがおいしいものに出会える。最近じゃ、料理店ではユッケもレバ刺しも食べられない。おいしいものは産地でこっそりいただくしかない時代になってきた。


 さて、そして震災だ。地震、原発事故、避難民の受け入れ、自分たちの避難、放射能と、今まで経験しなかったことが次々に起こって、役場から住民から、みんな得体のしれないなにかに追われていた。住民のほとんどは避難しちゃったし、イノシシのことは、みんな忘れていた。忘れてはいなかったのかもしれないけど、少なくとも、それどころではなかった。

 イノシシにしたら、なかなか天国だ。天敵たる人間がいない。田畑仕事をする人間もいなかったから、作物の盗み食いはできなかったはずだが、どこでも自由に闊歩できるのだから、そんなのは問題じゃない。イノシシは田畑の作物そのものより、根っこや土の中のミミズとかが食べたいものだ。

 昭和の激動期を生き抜いてきたおばあちゃんによると、戦前、戦争中、イノシシが人里に降りてくることなんかなかったという。イノシシが人里に現れるようになったのは、山の恵が減ったからなのか、人里の食事のうまさにやみつきになったか、それとも生活習慣が激変したか。今と昔、明らかにちがうのは人里の人口減がぐんぐん進んでいることだ。

 震災後1年、ほぼすべての住民が村からいなくなって、かつてない人口減少となったあの頃、野生動物には避難指示はでなかった。避難するほど危険なのか、そこで暮らしていると人間は死んでしまうのかと思えば、ウサギやタヌキはともかく、イノシシだけは露骨に増えた。おそらくイノシシにとっては、暮らしを邪魔するものは放射能以上に人間だったのだ。

 そうこうしているうち、村内では放射能の食品検査が始まった。心配な食材を持っていくと、切り刻んでジュースみたいにして計測器にかけて、何ベクレルでございますと数値が出てくる。

 いまの基準では、1kgあたり100ベクレル(Bq)を上回ると、流通させてはいけないことになっている。震災当時は500Bq/kg以上は食べてはいけない臨時処置がとられていた。海外からの食品は、350Bq/kg以下であることが義務づけられているそうだ。

 その頃、クルマでイノシシをはねたという人がいて、さっそくその肉を食品検査に持っていってみると、2,000Bq/kg以上の数字が出た。この数字が安全なのか危険なのか、判断するのはむずかしかった。今は屁でもないと思っているが、その当時、2,000Bq/kgのイノシシ肉をばくばく食べるにはずいぶんと覚悟がいった。こういうのは、科学知識より、気持ちの問題のほうが大きい。6年経って、放射能の風評被害がいっこうにおさまらないのは、お国の放射能対策が、人の気持ちを忖度できていないからなんじゃないかと思う。

 農家のTさんは、村に帰ってきて農作業を始めるにあたって決意を語ってくれた。村に戻ってきているのは高齢者ばかりで、いまさら放射能の影響で死ぬことなんかないと冗談交じりによく話していたが、Tさんはきっばりと言った。

「子どもに食べさせられないものは、誰にも食べさせられない。農家として、誰にでも食べてもらえるものを作らなきゃいけない」

 そう力強く語って、農地の除染や肥料の選択を解説してくれた。一理はある。それぞれの人の、それぞれの考えのひとつだ。

 こういう人もいる。70歳を過ぎて、当地の放射線量についてこわがる必要はこれっぽっちもないMさんは、国が100Bq/kgと決めた規制値はあくまでも守りたい。山奥へ分け入って収穫してきたキノコもイノシシも、きちんと計って、100Bq/kg以下なら食べる。100Bq/kgを越えていたら、キノコなら茹でこぼしたりして、数字を下げる努力をする。涙ぐましい。しかしゆでこぼしなどをしたキノコは、本来の味とはちょっとちがう。99Bq/kgは安全で101Bq/kgは危険、という正義はぼくにはわからない。でも国の規制を守るとそういうことになるし、そこを説得して考え方をあらためてもらおうという気にはなれない。放射能の概念は科学の分野だけど、この村での放射能に対しする対応は科学ではなく思想なんじゃないかと思う。

 そんなわけで、当地のイノシシは、ワナを仕掛けたり鉄砲で撃ったり(うちの近所では、昔はみんな鉄砲を持っていたけど、規制がうるさくなってみんな手放してしまった)、けっこうな手間をかけて捕獲したものを、これまた手間をかけて息の根を止め、さらにうんと手間をかけて血を抜き捌き、食べる。加えて、いまどきは放射能検査にだし、Mさんのように湯こぼしをしたりしたり、さらに手間をかけなければいけない。手間をかけて食べようとしたら、放射線値が高すぎて、そのままゴミ箱へ、という場合もある。無駄手間になる。

 そうして、かつてイノシシを大喜びで食べていた村人の面々も、今じゃほとんどイノシシを食べなくなった。食べる予定のないイノシシはありがたくただく命ではなく、田畑を荒らす闖入者にすぎなくなった。


 そんなある日、村に嫁に来たMちゃんがイノシシを食べたことがないという話になった。そりゃ一度食べてみるべきだと、猟期になるのを待って、一頭ばらしてみた。包丁とかのこぎりとか必要なのかと思ったら、必要なのはカッターナイフ1本とのこと。そして、解体作業が始まった。

 おいしい肉をとるには、まず血抜きが重要だ。残った血は体温であったまって味を落とす。生きているうちに血を抜いたり、おいしい肉を食すためには少々残酷ないろんな技があるそうだけど、この日はなるべく簡単に、そのままざくざくと切り刻んだ。すでに周囲は氷に覆われる寒さだから、解体作業をするべき最低限の環境は保っている。

 イノシシの肉には、多量の脂が付属している。脂にまみれた刃は、すぐに切れなる。解体は骨を砕くんじゃなく、筋を切り離していく作業がメインだった。いまどきのカッターナイフなら、脂で切れなくなったら刃先を折れば新品状態になる。

 Mちゃん、おいしそうなところを片っ端から獲得していって、最後は頭の後ろからするするとタンを引き抜きなさった。初めてやったとは思えない。初めての作業でも、命のしくみについて学べて、そしておいしい思いがついてくるのは、生命の終わりを目の当たりにしただけのことはある。

 当地のイノシシには摂取制限と出荷制限がかかっている。つまり食べてはいかん、もちろん売ってはいけないし、タダでも人に提供するのはいかん、というきまりだ。

 現実的には、運がよければ国の規制値以下の100Bq/kg以下の汚染の個体が現れる。うちの近所には、時々そういうのが出てくるようになったが、Mちゃんが熱心に解体したものは、だいたい200〜300Bq/kgだった。国の規制は100Bq/kgでも、いまどきは20Bq/kgもあると高線量汚染とかいわれちゃうから、こんな線量のイノシシが出回ることは絶対にない。

 かくして村の住民たちは、かつてのようにジビエとしてのイノシシとの触れ合いを失い、いまや害獣としてのみの存在として獣と対峙するようになった。移住者の中には、この地で猟をやるのを楽しみにしてきた人もいたから、一番のお楽しみを奪われて、失ったものは小さくない。

 でも東電も国も、野生モノあを捕獲し食べる喜びについては、ひとつも補償しない。イノシシもしかり、キノコもしかりだ。ジビエ料理を商売にしていたなら人には補償の対象になるのだろうけれど、趣味として楽しくやってました、なんて場合は、一銭のわび銭もない。野のものと親しむ喜び、失われっぱなし、ということだ。

 かくして当地では、増え続ける野生動物と格闘する面倒だけが残った。しかも、この国には動物愛護法がきちんと作用していて、免許のない者や猟期をはずれた狩猟は、すぐにお縄になってしまうと役場のみなさんに釘を刺されたりした。つかまえたいのはイノシシなのに、つかまるのは人間だ。

 動物愛護法に守られたイノシシは、冬の間の猟期さえ生き延びれば、特別にご指名を受けた数少ない猟師の追撃などはものともせずに、毎年毎年子孫を増やしていっている。

 震災前、ごくたまに出会うイノシシたちは、お忍びぽくもうしわけなさそうな顔をしていた。最近は家のすぐ横で姿を見かける。顔をのぞき込めば、なんと堂々としていることか。すっかりわが物顔で、大威張りでひとんちの庭を歩いている。

 敵地からのミサイル攻撃から身を守るのは大事だけど、それ以前に、ぼくらはイノシシの攻撃から田畑を守らなければいけない。その余禄として、ぼくらは食べられないことになっている新鮮なイノシシ肉を食すことができるのだけど、これはぼくらだけの内緒話だ。


 え? イノシシはどんな味かって?
 イノシシを家畜にしたのが豚だから、まぁ豚みたいなもんだと思っくれていたほうが幸せだと思います。脂が少なくって、肉がきゅっと締まっている。野生に育った動物は、肉の味わいもたくましくて、親戚といっても豚とは似て非なるもの。残念なことに、鍋も素晴らしく、しかし絶妙に脂の乗った獲りたての肉は、じゅうじゅうと焼いていただくと幸せも広がります。その幸せを味わうには、山の暮らしに寄り添わなければいけないなんて知ってしまったら、都会で暮らしにくくなってしまいますからね。
(2018年01月04日 13時39分)