川内村ざんねん譚(11)

 プライバシー

 村の暮らしは、隣近所の目が厳しいとよく言われる。知らない人にのぞかれていたら気持ちが悪いが、携帯電話のやり取りをのぞかれるわけでもないし、まぁいいかと思いながら、山奥の田舎に引っ越してきた。
 引っ越してきてしばらく、村から1時間ほどの町まで買い物に行って、帰りに国道沿いの空き地でうたた寝をしていたことがあった。そしたら翌日には、きのう道端で寝てたろうと出合い頭の何人かに笑われた。目撃者が何人もいるのか、誰かが目撃したのがみんなに広まったのか、真相はさておき、やっぱり隣人の目はあなどれなかった。

 よそからやってきた人間はちょっと目立つ。乗ってるクルマもしっかりばれているので、行動はあらかたお見通しになってしまうのだが、地元のクルマを見極める目は、並ではない。

 農家と軽トラは、切っても切れない。じいさんもばあちゃんもおっさんもおばさんも、みんな軽トラに乗っている。しかもそのほとんどが、白い。みんな同じに見える。それでも地元の目は、白い軽トラと白い軽トラを見切る。

「○○さんは、今日はあっちに向かって走っていったぞ」

 誰がどこへ向かっていったか、みんなちゃんと知っている。ナンバーを覚えているのだろうか。みんなのナンバーをみんな覚えるのはたいへんだろう。メーカーや車種を見て区別するのか。いやいや、軽トラの専門家なら一目瞭然なのだろうけれど、おらが村にそんな専門家はいない。

 人が人の顔を見分けるみたいに、村人は軽トラを見分ける。新車の軽トラなのに荷台だけ錆びているのが誰それさん、運転席にアクセサリーのキティちゃんがぶら下がってるのが誰々さん。最近、少しだけその見極めができるようになってきた軽トラ識別専門家見習いは、まだまだ今後も精進を続けていかなければいけない。

 軽トラだけじゃない。持ちより宴会などあると、お手製の漬物などが並べられる。あー、これはおいしい、これはちょっと塩っ辛い、これは甘いなと、みんなそれぞれ勝手に品評する。ぼくに言わせれば、どれもおいしく、そしてどれもちょっとしょっからい。しょっからいのは東北の味で、どうしようもないようだ。そしてみんな高血圧で悩んでいる。

 そんな中に、舌の肥えた方がいる。

「このタクアンは誰それさんちのだな」
「誰それさん、最近ちょっと味が変わったな」

 著名な料理評論家もびっくりの舌技を披露してくれる。家庭の味が隣近所の隅々にまで流出し、その習慣がこの何十年にわたって脈々と受け継がれていなければ、なかなかこんな技は身につけられない。

「誰それさんは、ときどき賞味期限の切れたお菓子とかしまってあるから気をつけろよ」

 なんてアドバイスをいただくこともある。少々賞味期限が切れたからって、それで健康に被害が及ぶとは、誰も思っていない。いわばそれは、どうでもいい情報だ。

 こういうよけいなお世話が、都会人的感覚からすると、がまんができない。一見さんは、野菜がおいしいとか空気がきれい、なんて喜んでいて気がつかないが、しばらく住んでみて、人のおせっかいにがまんができなくなる人がいる。こうなると、まとわりついてくる虫といっしょで、無視するかたたき殺すしかなくなってくる。やばい。監視の目が厳しくて、息がつまりそうというわけだ。

 でもしかし、ご近所の、どうでもいい情報を提供してくれるのは、都会のこじゃれたバーでナンパした彼女を相手に、雑学のうんちくを披露したがるイケメンと同じような回路ではないかという気がする。青山通りのおいしいチーズケーキの話をしても通じないので、お隣のかぼちゃの話になる。それだけの話。そして、こちらでそういう情報を提供くださるのは、イケメン兄ちゃんではなく、圧倒的に妙齢のご夫人たちになる。

 食品の買い物は、集落の商店に出向くのが常道だ。昔は10件ほどあった商店も、ご主人が亡くなったり高齢となって閉店したりで減ってしまった。なので、みんながおんなじお店を利用することになる。店のおばさんには、各家庭の献立がばれる。

 移住者や別荘の住人の中には、プライバシーの漏えいを危惧して、近所のお店では買い物をしない人もいる。最寄りのスーパーマーケットは、クルマで40分ほどの距離にある。道中はモンテカルロラリー並の峠道だから、素人には難儀な買い出しだ。プライバシーの問題以外にも、町の空気を吸いたくなったり、近所のパチンコ屋さんに出勤したりという任務があって、みんな1週間に1回くらいは、買い物に出かけていく。

 しかしそこでも油断はできないのであった。わざわざ町のスーパーに買い物にでかけても、レジでばったりお隣さんと出会ってしまうこともある。そんなとき、カゴの中をのぞかれたら、そこから足がついて、やっぱり献立はばれてしまうのであった。

 とはいえ、各家庭の料理の嗜好くらいなら、わざわざスーパーにでかけて買い物カゴをのぞかずとも、そっちこっちで酒を酌み交わしていれば、あらかた情報が共有される。誰それさんは魚が好きだ、だれそれさんちは肉ばっかりという情報は、おじゃまする際の心の準備のためにも知っておいたほうがいい場合があるし、手土産持参の際の重要情報でもある。笑顔で手土産を受け取ってもらうためにも、これは必要な諜報活動なのだ。

プライバシーの壁を崩すには、やっぱり酒の力を借りるのがいい

 夫婦が、どの部屋で寝ているのか、という情報もある。そんなところまでのぞくのかとぎょっとするが、さすがにそこまでお下劣ではないようだ。いまはともかく、ちょっと前まで冠婚葬祭を自分の家でやるもんだった。だから家屋の構造は、台所から寝室から浴室から、家の隅々までみんなが知っている。今さらこのくらいのことでは驚けない。

 イナカの諜報活動に手抜きはないのだ。どこそこの夫婦は別々の部屋で寝ている、どこそこはいい年して一緒に寝ている、なんて情報もみんなが共有していたりする。話題がお下劣になってきたが、こういう情報は、酒の席のお下劣な会話から明らかになったものかもしれない。

 話題のうるおいは、だいたい最後は下ネタになってしまう。高尚なお行儀をよしとする人には、それはちょっと残念かもしれないけれど、しかし夫婦の床事情は、しっかり共有する必要があるのだと、あるときの酒の席で毅然として解説された。

のぞきをする輩がいるのかと思えば、酒の席に混ざらんとするお隣さんだった

 役場からクルマでどんなに飛ばしても15分ほどかかるこの地では、立派な消防車を配備する広域消防署に、あんまり初期消火活動を期待をするわけにはいかない。自分たちは自分たちで守る。いま、地域で活躍するじいさんたちは、かつて消防団で地域を守った英雄たちばっかりだ。

 そんな消防団が、燃える家から仲間を助けようというとき、その仲間がどこに寝ているのかは重要な情報だ。西向きの奥の部屋に寝ているのなら、西側の壁をぶちやぶって寝室に救助に向かう。東側の部屋に寝ているのなら東から。旦那と奥さまが別々に寝ているなら、それぞれ別に壁をぶち抜いて助けたい。寝室事情は、かように安全保全上、重要なのだ。

猫の寝室を確認しようと思うと、家の奥にまで立ち入らなければいけない

 生まれたときからこの地に育ち、男も女も老いも若きもきょうだいのように生きている。プライバシーの放棄が前提のようなイナカの暮らしだが、たぶん、この地域のみんなは、自分たちの関係を、いわゆる他人だとは思っていない。他人じゃないから、プライバシーの概念も、町の中のそれとはずいぶんちがう。

 ぼくにはここの暮らしがまずまず快適だ。もしかするとイナカの暮らしは(そういう趣味はないけれど)ヌーディストクラブみたいなものかもしれない。着ているものを全部脱いでしまうのは恥ずかしいかもしれないけれど、ごく一部の人はなにも着ないで気持ちよさそうにしている。もしかすると、一度やってしまえば、二度目からは意外と恥ずかしくもなくて、それがふつうになってしまうのかもしれない。

 夕飯どきに誰かの家を訪ねると「まぁ休め」と食卓に迎えられる。部屋をきれいに片づけて人を迎えるという意識は、あんまりない。洗濯物が積んであったり、迎えるご主人はパンツ1枚だったりする。お行儀が悪いと眉をひそめる人は、こういう人とは交流がない。

 ヌーディストクラブのようなイナカのそんな気持ちよさ、一度味わってしまうと、やめられない。
(2017年07月30日 15時57分)